−その16− 「バス」の巻
 北海道における乗合自動車の始まりは、大正3(1914)年、大津滝三郎により根室厚岸間などで開業したもので、その後札幌や小樽や、函館、室蘭、北見などの地方都市でもバスの営業がはじまりました。
 前項で紹介した古平町へ向かう山越えの道路にも、昭和のはじめにはバスが運行されていましたが、難路のため路線の維持補修用にトラックを自社購入しながら営業を続けていました。このバス路線は眼下にローソク岩を見下ろす魅力あるものでしたが、同時にそれは急勾配と蛇行の連続で危険を伴うものでした。
 昭和18(1943)年、石狩、空知、後志で営業していた21業者が戦時統合により対等合併し、後に北海道中央バスと改称される北海道中央乗合自動車が誕生、翌年、株式会社となりました。合併直後に各地に運行していたバスは、シボレー、フォード、GMC、トヨタ、ニッサンなど8車種もあり、様々な燃料を使ったバスが運行されていたそうです。
 昭和30年代後半、大川十字街にあった中央バスの営業所から発車していた町内路線には富沢町、豊丘小峠橋、豊浜鉱山、登行きが、郊外路線では赤井川、大江鉱山、赤井川都、赤井川落合、銀山経由赤井川行きなどがありました。
▲白岩海岸を走るバス
 昭和34年の中央バス路線図を見ると積丹半島東岸の路線は積丹町余別が終点で、古平町経由での美国、入舸、余別行きなどがありました。
 反対側の西岸では岩内町から神恵内赤石が終点でした。余市〜余別間では豊浜町から豊浜鉱山へ向かう路線や、古平町浜町から稲倉石鉱山へ向かう支線があり、また美国を越えて野塚へ向かう路線は小樽茶屋停留所で分岐して入舸停留所を経由するものがあり、余市発の路線は10を越えていました。
 昭和40年代には、ユースホステルを利用しながら旅をした若者の多くが積丹半島の先端を目指し、小樽駅前発のバスが増便されたほどでした。今でも路線バスと観光バスが余市町内を多く行き交い、積丹半島を一周する国道も整備されましたが、自家用車の普及によってバス利用のかたちは変わりました。