−その14− 「函館《本線》」の巻

 函館本線は、函館〜旭川間の約420qを結んで北海道を縦断します。函館〜札幌間は小樽、余市、倶知安等を峠越えをしながら通る「山線」を経て、噴火湾沿いを南下します。現在、函館へ向かうには、札幌から特急に乗って噴火湾まわりの室蘭本線を利用するのが一般的ですが、昭和30年代頃までは、函館から札幌へ向かう旅行者は小樽につくと「もう少し」と思っていました。また、貨物輸送も昭和3(1928)年の長輪線(長万部〜室蘭間)開通や新千歳空港開港等で、幹線としての地位が低下するまでは函館本線が輸送の中心を担っていました。

 開通前の明治19(1886)年、北海道庁技師平井晴二郎が測量を行い、小樽(手宮)と函館を結ぶ路線をどこに通すかについて、ふたつの案を報告しています。ひとつは小樽方面から余市川手前で折れて稲穂峠を越えた後、岩内経由で寿都湾に出て長万部に向かうルート、もうひとつは小樽から内陸に勝内川を沿って余市川上流を経て、尻別川に沿い静狩峠の北側で曲がって長万部に向かうルートでした。工事の主体は北海道鉄道株式会社で、明治34(1901)年の忍路トンネル工事を皮切りに工事が開始されました。
 余市駅の開業は、然別〜蘭島間が開通した明治35(1902)年のことで、函館本線の全線開通は最も難工事だった倶知安〜然別間の工事が終わった明治37(1904)年のことでした。その年の時刻表を見ると、余市発6時28分の列車が札幌に到着するのは10時38分、旭川到着は16時ちょうどでした。また、余市発9時の上り列車で函館に向かうと、到着は20時37分、上野着は翌々日の7時50分でした。昭和40年代には、函館〜旭川間の特急「北海」、函館発札幌行きの急行「ニセコ」、稚内まで直行する急行「宗谷」、倶知安〜札幌間の準急「らいでん」等があり、「ニセコ」は当時、国鉄最大の旅客用蒸気機関車C62が2つ連なり、下り9両、上り11両編成の列車は壮観なものだったそうです。
▲三連で走るC62 昭和46年 市川写真場蔵
 
 「北海」の名称は、昭和41(1966)年11月に公募によって決まり、翌42(1967)年3月に運行が開始されましたが、昭和61(1986)年にはダイヤ改正により、特急・急行とも姿を消しました。

 「山線」はその名の通り、山間部を通るため豪雪に見舞われ、また急勾配やカーブが多かったため、輸送効率は悪いものでした。しかし、違う見方をすれば羊蹄山等の山々、川沿いや日本海に沿って走る景色には見所が多いともいえます。
 平成12年3月の有珠山噴火により室蘭本線が不通となり、14年振りに函館本線に特急が戻ってきました。カシオペアやトワイライトエクスプレスといったカタカナ名の列車でしたが、昔日を思い出された方も多かったのではないでしょうか。