−その13− 「余市港」の巻

 余市港の歴史は、明治22(1889)年の北海道庁の御雇外国人技師、チャールズ・スコット・メークの調査から始まります。工事の着工はそれから40年後の昭和4年のことでした。
 メークは嘉永6(1853)年生まれのイギリス人で、北海道庁からの招へいにより明治20(1887)年3月に北海道へ着任します。
 その年の7月から、北海道内の港湾調査や築港設計を行い、明治22年までの3年間に北海道の主要な港湾適地を網羅した調査は「北海道各港調査報文」にまとめられました。

 『余市町郷土誌』によれば、メークは余市湾について「天然に湾形をなし、地勢が良く、土木工事によって港を作れば良港となる」との報告を残しています。

 地元関係者の期待は募りましたが、工事の着工は遅れました。大正8(1919)年刊の『余市水産』には笠島貞治氏(第4、8、9代目の町長)から「余市漁港築設に就て」の一文が寄せられ、そこには余市港の建設は単に漁船の避難のみを目的したものではなく、沖合漁業の振興、市場集散地としての役割を持たせた港となることを期待すること、一部にあった商港を兼ねた港とすることは国内情勢から困難との意見が述べられています。
 工事は昭和2年からの第2期拓殖計画に計画され、昭和4年についに工事が開始されました。設計は道庁技師の伊藤長右衛門によるもので、防波堤の延長666.7m、同面積20万u、船入澗面積約1万2500u、埋築面積約2万8000uの一大工事でした。

▲余市築港起工式のようす

 起工式は同年9月12日に行われました。『余市漁業発達史』によれば、余市町山碓(現在の港町)の漁家林家前の海岸に会場が設けられ、500名を越える参加者が集まる盛大なものとなりました。岩浜には波打際まで届く滑り台のような木枠が設けられ、その突端に据えられたのは、北海道庁長官の筆により「基石」と文字が刻まれて白布にくるまれた石材でした(写真)。
 この後、基石は木枠を滑り、波しぶきをあげて海中に沈んでゆきました。

 工事は昭和9年の完成予定で開始されましたが、予算の減額等があり、一応の完成を見たのは14年後の昭和17年のことでした。