−その10− 「除雪と道路」の巻

 長く感じた冬もやっと終わりを告げようとしています。気象庁による昭和58(1981)年以降の記録を見ると、この冬は最高の積雪値173pが記録されました。それよりも前の余市町の大雪を『後志の気象』から見ると、昭和32(1957)年には最深積雪が180p、翌33年も同じく181p、同43年にも176pという値が余市町山田の観測地点で記録されています。
 同32年の大雪は、1月中旬までの累計降雪量が8mを越え、余市駅構内やホームの屋根の除雪に毎日50人以上の作業員が駆り出されて除雪に明け暮れました。雪投げの季節が終わると、道路脇に積もった雪が解け出してきます。
 入舟町や駅前、大川町の道路は川の流れのようになり、ひどい所では30pを越える水たまりが出来、町は小樽開発建設部に排水を要請したほどでした。

昭和40年には2月に累計24日間という集中的な降雪がありました。3月になっても道路の除雪が行き届かず、リンゴの出荷や病人の往診が出来なかったり、縁談がまとまっても婚礼が出来ない家庭があったほどの深刻な事態だったようです。
 その7年前の昭和33年、駅前から黒川橋(現在の黒小前)までの約630mの区間に、余市町初の舗装道路が始まり、細粒式アスファルトによる幅員約10mの道路が8月に完成しました。
 この頃から町内の道路は整備され、昭和36年には大浜中〜栄町間の約1,200mが、同37年には駅前周辺が、同43年には港町線の約1,400mが幅員16mの道路として舗装工事が開始されました。

▲水たまりになった国道(昭和40年)
 道路網の整備と除雪体勢の確立は同時進行しました。現在のように国、北海道、町の3者の役割が明確化されたのは、昭和32年に冬期の道路交通の確保を目指して制定された、略称「雪寒法」がきっかけでした。
 また、第2期北海道総合開発計画(昭和38〜45年度)に、地方道の整備と除雪による冬期道路交通の確保が主要な柱として盛りこまれたことにもよります。
 昭和30年代から機械除雪が始まり、以降は徐々に除雪体勢が整い、川の様な道路は見られなくなりました。かわってスパイクタイヤの粉塵が問題視されますが、平成3年にはスパイクタイヤの製造が禁止され、スタッドレスタイヤが普及して、それも解消されます。道路脇の真黒に汚れた雪山や、鼻をかんだティッシュが黒くなったのも今では懐かしい思い出となりました。