余市町の姉妹都市 〜Sister City of Yoichi〜

 ≪姉妹都市名≫  イースト・ダンバートンシャイア市 East Dunbartonshire
 ≪提携年月日≫  平成9(1997)年11月11日
※旧ストラスケルビン市(イースト・ダンバートンシャイア市の前身)との調印は
   昭和63(1988)年10月12日

◆姉妹都市の位置と概要◆
  イースト・ダンバートンシャイア市は、英国・スコットランドの南西部に位置し、スコットランド最大の都市グラスゴーに隣接しています。人口は約11万人、面積は約172kuです。
 市の北部には小高い山々が連なり、スコットランド高地地方(ハイランド)に見られるような、壮大で美しい景色が広がっています。

  また、中世のたたずまいを残す市街地や点在するローマ時代からの遺跡群、そして、かつて北海と大西洋を結ぶ大動脈として発展したフォース&クライド運河(左記参照)が市内を東西に走り、この地方の長い歴史を物語っています。
 産業面では、北部から中部の丘陵地が農業地帯となっている一方、南部には出版、建築、ハイテク部品製造など、市が誘致した企業を中心にその事務所や工場が建ち並び、地域産業の重要な拠点となっています。


提携の動機◆
余市町に工場を置くニッカウヰスキー(株)の創業者竹鶴政孝氏は、本格的ウイスキー造りを学ぶため英国・スコットランドへ留学。そこで、リタ(本名:ジェシー・ロバータ・カウン)という女性と知り合い結婚しました。

 

 帰国後、竹鶴氏は、ウイスキーづくりに最適な土地として、スコットランドと似た気候風土を持つ本町に工場を設置。リタ夫人とともに余市町に住み、その生涯をウイスキー造りひとすじに捧げました。
 このことが縁となり、1988年10月、リタ夫人の故郷、カーキンティロフが属するストラスケルビン市(=当時/現在のイースト・ダンバートンシャイア市)と姉妹都市提携の調印を行ないました。
この提携をきっかけに余市町国際交流推進協議会が発足。姉妹都市交流の推進母体として使節団の相互交流などの事業を行なっています。また、図書館や消防署など公共施設の建設にスコットランド様式が採り入れられたり(リタロードプロジェクト)、スコットランドの伝統楽器バグパイプのバンドが結成されました。
 1996年4月、スコットランドの行政区再編のため、ストラスケルビン市はイースト・ダンバートンシャイア市へと移行しました。このため、1997年11月11日、余市町とイースト・ダンバートンシャイア市はテレビ会議システムを利用して再調印式を行ない、これまでの友好関係を継承しさらに発展させていくことで合意しました。


これまでの交流◆
  旧ストラスケルビン市時代には、図書や絵画などの交換、使節団の相互訪問のほか、勤労青少年交流プロジェクトが実施され(1992−1993)、双方の青年たちが現地でホームステイをしながら、地元の企業や施設での勤労体験をとおして地元の人々と交流しました。
  イースト・ダンバートンシャイア市に移行後の平成12(2000)年秋には余市町の中学生6名を同市へ派遣。市内レンジーアカデミー校で授業に参加したり、茶道や浴衣の着付け等日本文化の紹介をとおして生徒たちと交流しました。
  翌年の平成13(2001)年6月、今度はレンジーアカデミーの生徒達が余市町を訪問。町内の中学校で、音楽や習字等の授業を体験。また、レンジー生によるスコティッシュダンスのデモンストレーションでは、余市の生徒たちも参加して楽しいひとときを過ごしました。
  派遣事業に参加した生徒達は、ホームステイをとおして異なる文化や生活を体験し、ホストファミリーとの交流を深めるとともに、国際的視野を広めることができました。



イーストダンバートンシャイア市の街なみ










レンジーアカデミー校にて浴衣の着付け












習字に挑戦 〜町内の中学校〜











Let's スコティッシュダンス!
余市町国際交流推進協議会◆
  旧ストラスケルビン市との姉妹都市提携の翌年(平成元年)3月余市町役場をはじめとする町内主要機関により、余市町国際交流推進協議会が発足。姉妹都市との各種交流の他、本町における国際交流活動全般の推進母体となっています。
 主な活動内容としては、姉妹都市交流事業のほか、会員の国際交流活動のサポート、ボランティア通訳の派遣、さらには
会報「よいち国際交流NEWS」を発行して活動内容等についてお知らせしています。


協議会では、団体会員のほか、賛助会員(個人)も募集中。詳しくは下記事務局まで。

(事務局) 余市町総務部企画政策課内
電話 0135−21−2117